NO.2
書  名 ゾーン
(ワンランク上を目指す投資家のための
相場心理学入門)
著者/訳者 マーク・ダグラス/世良敬明
発行所 パンローリング
価  格 2,800円
 
 
 

「ゾーン」からの抜粋


 



(ファンダメンタル分析)

  ファンダメンタル分析とは、ある特定の株式、商品、金融商品について、その潜在的需要と供給との均衡(不均衡)に変化を及ぼしそうな材料をすべて考慮しよう、というものである。さまざまな材料(金利、バランスシート、天候パターン、その他いろいろ)の意義に重点を置いた数理的モデルを利用して、分析者は価格が将来のある時期にどうなるかを予測するのである。
  しかしこうしたモデルには問題点がある。材料としてほかのトレーダーを考慮していないのだ。価格を動かすのはモデルではない。将来に信念と期待を抱く人間だ。たとえ材料をすべて比較したうえでモデルが論理的に正当な予想をしたとしても、売買出来高に主体的な影響を持つトレーダーがそのモデルに気づかず、あるいはそれを信じようとしなければ、大した価値を持たないのである。



(テクニカル分析)

  テクニカル分析は、マーケットが取引所に組み込まれたころから存在している。しかしトレーダーの世界では1970年代末または80年代初頭ごろまで、利殖の道具として価値があるとは考えられてはいなかった。しかし以下の理由から、現在では業界関係者の必修事項として主流を占めるようになっている。
  どの日、どの週、どの月にかかわらず、マーケット参加者の数は有限である。そして彼らの多くが利殖を期待して、同じような行動を何度も繰り返す。つまり各個人に行動パターンがある。そしてその個人の集まりが、首尾一貫してお互いに影響し合うため、それが集団的行動パターンを形成する。こうした行動パターンは、視覚的にも数値的にも識別可能であり、その繰り返しには統計学的信頼性がある。
  つまりテクニカル分析は、集団的行動をパターンとして識別し、「あることが起これば次にこうなる」という可能性がより高くなるタイミングを明確にする方法なのだ。ある意味、過去にマーケットで生じた何かしらのパターンを根拠にマーケットの気持ちを読み取り、次の展開を予想する方法であると言える。



(一貫した成功者)

  一貫した成功者とその他を区別するはっきりとした特徴がそこにある。勝者はある種の心構え(独自の姿勢)を確立し、逆境にもかかわらず規律と集中力、そして何よりも自信を維持できるのだ。結果として、その他のトレーダー集団が悩むような一般的な恐怖や売買ミスに影響を受けずに済む。だれもが最終的にマーケットについて何かを学ぶが、一貫した勝者となるために絶対不可欠な姿勢を習得しているのは非常に限られた人たちなのだ。それはちょうどゴルフクラブやテニスラケットを振り、適当な技術をマスターしようと学ぶのはだれでもできるが、それを一貫できるか否かは、間違いなくその姿勢によるのと同じである。



(リスクを受け入れる方法)

  最上級者は何のためらいも葛藤もなくトレードを仕掛ける。そしてトレードが機能しなくても、同じくらい何のためらいも葛藤もなく、容易にその事実を認める。たとえ含み損で手仕舞っても、不愉快な感情は微塵も見せない。つまりトレードに内在するリスクで、自分の規律、集中力、自信を失うことはないのである。裏を返せば、不愉快な気持ち(特に恐怖心)でトレードしているのであれば、トレードに内在するリスクを受け入れる方法を学んでいないことになる。これは大きな問題だ。なぜならリスクが許容できない度合いとリスクを避けようとする度合いは比例するからだ。そして避け難いものを避けようとする試みは、トレードを成功させる能力に壊滅的な打撃をもたらすのだ。



(トレーダー的思考法)

  トレードには「常に不透明な将来に直面しているなかで、どのように自己規律、集中力、自信を維持するか」という根本的な逆説が存在する。まさにそのことを達成するには、トレーダー的「思考」法を習得しなければならない。そのトレーダー的思考法のカギとなるのが、リスクを完璧に許容できるように自分の売買行動を再定義する方法の習得である。つまり、リスクを許容する方法の習得は売買技術の習得なのだ。これは習得可能な最も重要な技術だ。しかしその能力開発に注目し、時間を費やしてその習得に努力するトレーダーは滅多にいない。
  リスク許容の技術を習得すれば、マーケットが発する情報に苦痛を感じることはない。マーケットが発する情報に精神的苦痛を受ける可能性がないならば、避ける必要がない。そしてマーケットが伝えている情報は何かしらの可能性にすぎなくなる。いわゆる客観的観点である。この観点では、この先どうなるか分からないからといって、その不安感から偏見や屈折した解釈をすることはない。



(トレードの四大恐怖)

  私には一貫した勝利者とその他大勢との差が、「最高のトレーダーは恐れない」という点以外にあるとは思えない。事実、彼らは恐れない。自分の観点から、マーケットが可能性を伝えているという予測に基づいてトレードの建玉と仕切りを実行するために、かなり高度で柔軟な心理を持った姿勢を確立しているからだ。そして同時に、無謀なトレードを防ぐ姿勢を確立している。一方で、その他の人たちは多かれ少なかれ恐怖心を抱いている。あるいは怖いもの知らずから無謀になり、結局はそこから、さらなる恐怖をもたらすような経験のタネをまく可能性がある。
  目の前からまさにお金が蒸発したかのような気持ちになる、犯しがちなミスのうちの95%は、間違い、損失、機会喪失、利食い失敗に対する自分の姿勢から生じる。これらを私は、トレードの四大恐怖と呼んでいる。



(不確実性を完全に受け入れる技能)

  これはつまり市場動向についてどれだけ学ぼうと、どれだけ聡明な分析者になろうとも、すべてを予想する方法はけっして習得できないことを意味している。トレードに負けて、損をする可能性は常にあるのだ。したがって、もし負けて損をするのを恐れていたら、こうした恐怖心によるマイナスの影響を解消し、客観性と躊躇なき行動力を習得するのは無理である。すなわち、一貫した不透明性に立ち向かう自信がなくなるのだ。結果の不確実さは、トレードの冷たく厳しい現実である。この結果の不確実性を完全に受け入れる技能を修得しないかぎり、苦痛と認識したどのような可能性も、意識的・無意識的に避けようとするだろう。その揚げ句、何度も自らが犯したミスに見舞われ、高い代償を払う結果となるだろう。



(リスクを受け入れたという精神状態を確立)

  本当にリスクを受け入れたという精神状態を確立すれば、苦痛を感じながらマーケット情報を定義・解釈する可能性はない。苦痛を感じながらマーケット情報を定義・解釈する可能性がなくなれば、自己正当化、躊躇、早まった行動、「マーケットが儲けさせてくれるだろう」とか、「マーケットが自分に損切りをする力がないのを助けてくれるだろう」といった希望的観測が排除できる。



(トレードの心理的要素)

  すべてのギャンブルには、あらかじめ決まった始まりがあり、中間があり、終わりがある。その繰り返しでゲームの結果が決まる。一度ゲームに参加すれば、好き勝手にやめられない。ある期間はゲームに参加している。しかしそれはトレードには当てはまらない。価格は連続した動きであり、トレードすべきだと自分が決めるまで、何も始まらない。やりたいだけ続けられる。終わりだと自分で決めなければ終わらない。何を計画しようが意図しようが、かなりの心理的要素が作用し始める。それは混乱を引き起こし、心変わりを生み、恐れや過信を生む。つまり一貫性も意図もない行動をとってしまうきっかけとなるのだ。



(自己コントロール)

  トレードには多くの矛盾があるが、その一つは恩恵と災難が同時に与えられている点だ。恩恵とは、おそらく人生で初めて、自分の行動すべてを自分が完全に把握できることだ。災難とはそうした自分の行動を指示したり律したりする恒久的規則や境目がないことだ。このトレード環境の無制限な性質において、少なくともある程度持続した成功を確立するためには、ある程度の抑止力と自己コントロールをもって行動しなければならない。自分の行動を導く精神構造が必要であり、それを自分の心のなかに自分の判断で意識的に生み出さなければならない。しかし、ここに多くの問題点が生じてくるのである。



(規律ある方法を確立)

  本質的にトレードには、簡単に責任逃れができるほかの手段がある。その結果、精神構造の確立よりもランダムなトレードを選んでしまう。なぜなら、どのトレードにも勝つ(ときには大勝ちする)可能性があるという事実があるからだ。トレードには、自分が偉大なアナリストであろうがなかろうが、責任を取っても取らなくても、大勝ちするときがある。成功の維持に必要な規律ある方法を確立するには努力を要する。しかし知ってのとおり、こうした心の機能を避けて、規律なきランダムなトレードに逃げるのは、非常に簡単である。



(間違った動機でトレードを研究している)

  マーケットの集団的行動パターンを認識し、理解する方法を学ぶ。それは良い。気分も良くなるだろう。自分は勝利者となるためにマーケットを研究していると確信しているので、一生懸命だ。その結果、典型的な知識の探求者になる。トレンドライン、チャートパターン、支持・抵抗線、ローソク足、マーケットプロファイル、ポイントアンドフィギュア、エリオット波動、フィボナッチ比率、オシレーター、RSI、ストキャスティックス…・・。ほかにもきりがないほど多くのテクニカル分析ツールを学ぶ。しかし興味深いことに、知識が増えると、かえってトレードの実行に支障が生じてしまうのだ。はっきりとした売買シグナルが幾つも出ているにもかかわらず、躊躇して二の足を踏んでしまい、まったくトレードをしなくなる。そしてそれがすべて欲求不満となり、パニックに陥る。なぜなら事態の展開に納得できないからである。期待したとおりのことをしたのに、たくさん学べば学ぶほど、自分の優位性がより低下するだけだと分かるからだ。一生懸命頑張っただけに、その分析で間違えたとしても、それをけっして認めようとしないだろう。要は、間違った動機でトレードを研究しているのである。



(損失や負けを避ける方法はない)

  損失や負けを避ける方法はないのだ。こうしたトレードの現実に気がついていない人が多い。なぜなら、@勝利の感覚をぜひとも取り戻したい、A必要なマーケット知識をすべて得ようと一生懸命研究している――という二つの切実な思いで突っ走ってしまうからである。どんなに一生懸命研究しても、自分の思考が無心状態から回避阻止状態になったと気がつかなければ、自分の姿勢は前向きから後ろ向きへと変化するだろう。
  こうなるともはや勝利のみに集中してはいない。むしろどうしたらマーケットに傷つけられずに済むか、どうしたら精神的苦痛を避けられるかに集中している。こうした後ろ向きの考え方は、テニス選手やゴルファーがミスを避けることに集中し、ミスをなくそうとすればするほど多くのミスを犯してしまうのと同じだ。この思考過程はスポーツでは非常に簡単に理解できる。なぜなら自分の集中しているものとその結果との関係が、比較的はっきりと認められるからである。しかしトレードでは、そのつながりがはっきりせず、認識が難しいため、前向きな感覚はマーケットデータや値動きに新しい関係を発見することから生じると誤解してしまうのである。



(一時的な好調の後に必然的な大失敗)

  勝っているときこそ、ミス、過剰売買、過剰建玉、規則違反、あるいはさも大胆さが必要であるかのような行動をとっていないか、疑ってかからねばならない。マーケットについて過激に考えてそのような行動をとったとき、得てしてマーケットはそのとおりにならない。そして著しい損失と心理的苦痛に傷つくだろう。一時的な好調の後に必然的な大失敗を経験してしまうのである。



(すべてのトレーダーが失敗するという前提 )

  ある大手先物取引のブローカーがこうコメントしていた。「すべてのトレーダーが失敗するという前提で、お客さんと接している。そして彼らが逝くときまで幸せな気持ちにしてあげるのが自分の仕事だ」。彼は冗談半分でこう言っていたのだが、その発言には多くの真実がある。



(プロのようにリスクを受け止める)

  プロのようにリスクを受け止めたとき、マーケットの動向を脅威として理解しなくなるだろう。何の脅威もなければ、何の恐怖もない。恐怖がなければ、勇気の必要もない。ストレスがなければ、精神力の必要はない。そして自分が無心になれるかどうかを恐れていなければ、自制心の必要などない。この文章に込められた意味をじっくりと考えてほしい。そしてこのことを肝に銘じてもらいたい。「責任感とリスクについて適切な信念と姿勢を持ってトレードを始める人はほとんどいない」のだ。だれもいないとは言わないが、ほとんどいない。その他大勢は、前述の初心者のところで出たサイクルにはまっている。無心で参加し、そして恐れを感じ、その恐れが自分の潜在能力を断続的にそいでいくのである。



(根拠のない恐怖)

  「今この瞬間」にある機会は、前回のトレードとは明らかに何の関係もないからである。単に優位性に賭けているのであって、それぞれのトレードはほかのトレードとは統計的に独立している。もしこの意見に同意できないのであれば、その人はトレードを恐れているはずだ。しかし、その恐怖はまったく根拠のないものなのだ。



(プロのリスク認識)

  往々にして、トレード機会における典型的なトレーダーのリスク認識は、直近2〜3回のトレードの結果に影響を受ける(個人差はある)。一方、最上級のトレーダーは、前回(あるいは直近の数回)のトレードの結果がマイナスであろうがプラスであろうが、影響を受けない。どのトレード機会でも、個人的な心理変化に影響を受けてリスクを認識することはないのである。したがって両者の心理には大きなギャップがある。「最上級のトレーダーの心のなかはこうしたギャップを克服できる性質がもともと身に着いているのだ」と思い込んでいる人もいるかもしれない。しかし事実は違う。



(トレードの本質)

  トレードの本質に秘密となるものがあるとすれば、以下の能力がそうだ。@恐怖心や過信なくトレードを執行する能力、Aその観点から、マーケットが提供しているものを認知する能力、B「今この瞬間の機会の流れ」のなかで完璧な集中力を維持する能力、C自然に「ゾーン」へと達する能力――これらの能力が中核にあれば、自分に有利な優位性が予測できない結果を生むという信念は、ほとんど揺るぎようのない強固なものとなる。
  最高のトレーダーは、わずかな疑いも心の葛藤もなく「何事も起こり得る」と信じ切るところまで成長している。何事も起こり得ることを「疑いすら」しない。つまり、けっしてその考えを信じたふりをしているわけではないのだ。不確定性に対する信念が非常に強力であるおかげで、自分の心が「今この瞬間」の状況から直近のトレード結果を連想するのを防いでいるのである。



(間違いを認める恐怖)

  例えば、間違いを恐れてトレードしている場合、自分の建玉と反対方向にマーケットがさらに動き続ける可能性を認識できない。なぜなら、間違いを認める恐怖が原因となって、自分の建玉を支持してくれる情報を過度に重視してしまうからである。たとえ「マーケットが自分の建玉とは逆方向にトレンドを形成している」という事実を明示する情報が十分にあったとしても、この見落としは起こり得る。私たちはトレードをするために値動きを区別する。しかし通常なら認知できる区別も、恐怖心を抱くと見えなくなりやすい。そのトレンド、そしてその方向にトレードする機会は、今のトレードをやめるまで見えないのだ。



(ゾーン)

  自分が「ゾーン」にいる状態とは、本質的に自分の心とマーケットが同調している状態を意味する。その結果、あたかも自分自身とその他のマーケット参加者の集合的意識の間に何の分け隔てもなくなったかのようになり、マーケットがまさに何をしようとしているか感じられるようになるのである。つまりゾーンは、ただ単に集団心理を読み取れる状態だけではなく、それ以上、つまりマーケットと完全に同調している状態の心の空間なのだ。



(カジノ側がプレーヤーに対して、約4.5%の優位性を持っている )

 ブラックジャックでは、カジノ側がプレーヤーに対して、約4.5%の優位性を持っている。この優位性の根拠は、プレーヤーが順守しなければならないルールにある。つまり、十分な大きさの標本があれば(ゲームを多数繰り返せば)、カジノ側がゲームに賭けられたドルのうち4.5%を純益として残せるわけだ。この平均4.5%には、(連勝を含む)大勝ちをして帰る人、大負けして帰る人、その間のだれしもがすべて計算されている。それでも、その日、その週、その月の終わりには結局、カジノ業者は賭けられたお金の総額の約4.5%を利益として出しているのだ。
 4.5%というと、大した額に聞こえないかもしれないが、考えてみてほしい。一年間、カジノにあるブラックジャック台で、総額1億ドルが賭けられたとしたら、そのカジノ業者は450万ドルの純利を上げているのである。



(確率の本質)

  カジノ業者とプロのギャンブラーは、確率の本質をよく理解している。つまり、一つ一つのプレーが統計的にほかのものから独立しているという性質である。個々のプレーが一個の事象であり、その結果は前回のプレーや次回のプレーとはランダムな関係にあるのだ。個々のプレーに注目すれば、勝ち負けの分布はランダムで予測不可能である。しかしそのプレー回数が一定数に達すれば、そこから現れるパターンは一貫し、予測可能な統計的に信頼できる結果となって現れるのである。



(確率(自分の優位性)の利用)

  次に何が起こるか知る必要がないのなら、個々のプレーやルーレットやサイコロに、特別な意義や感情などを移入する必要がない。したがって、非現実的な期待に苦しまなくて済むし、自分が正解でなければならないというエゴに影響されないで済む。そして、常に楽な気持ちで、自分の勝算の維持と完璧なトレードの執行に集中できるのだ。それが一方で、ミスを犯して高い代償を払う可能性をかぎりなく小さくさせる。非常にリラックスした状態だ。なぜなら確率(自分の優位性)の利用に専念し、またそれを望んでいるからだ。そして自分の優位性が十分にあり、標本の大きさが十分であれば、最終的には勝利すると常にわかっているからである。



(規則に厳格、期待に柔軟)

  私は講習会で常に、以下の主要なトレードの逆説を解決するように参加者に求めている。それは「いかにしてトレーダーは厳格であると同時に柔軟である方法を習得すべきか?」である。その答えは、「自分の規則に厳格であり、自分の期待に柔軟でなければならない」である。私たちは自分の規則に厳格である必要がある。そうすれば、ほとんど境目のない環境で自分を常に守ってくれるだろうという自信が深まる。また私たちは自分の期待に柔軟である必要がある。そうすれば、かなりの明瞭さと客観性をもって、その観点からマーケットとのコミュニケーションが取れると認識できる。ここまでくればもう言うまでもないだろうが、典型的なトレーダーはまったく逆の行為をしている。自分の規則に柔軟であり、自分の期待に固執するのだ。非常に興味深いことに、期待に固執すればするほど自分の規則を曲げたり、破ったりしてしまう。これはマーケットが提供している情報が自分に有利なものであるという期待をあきらめきれないからだ。



(期待)

  マーケットが自分に何かをしてくれると期待している場合、マーケット情報は脅威でしかない。一方、マーケットが自分を正解にしてくれると期待しなければ、間違いを恐れる理由がない。マーケットが自分を勝たせてくれると期待しなければ、損失を恐れる理由がない。マーケットが永遠に自分に有利な方向へ動くと期待しなければ、利食いし損なう理由がない。機会が現れたことを認識しただけであって、その機会すべてがうまくいくと期待しなければ、機会を逃すことを恐れる理由がない。
 一方で、以下のことは知っておくべきである。
  @トレードを仕掛ける前に、勝算が自分にあると知っている。
  Aトレードが機能していると判断するまで、いくら費やせるか知っている。
  Bそのトレードで利益を出すために、次に何が起こるか知る必要はないと
    知っている。
  C何事も起こり得ると知っている。



(一貫した勝者)

 私は一貫した勝者である。なぜなら
  @私は自分の優位性を客観的に確認している。
  A私はすべてのトレードでリスクを前もって決めている。
  B私は完璧にリスクを受け入れている。あるいはトレードを見切ることを
    いとわない。
  C私は疑念も躊躇もなく自分の優位性に従う。
  D私はマーケットが可能にしてくれた勝ちトレードから利益をつかみ取る。
  E私はミスを犯すことへの自分の対応を継続的に監視している。
  F私はこうした一貫した成功の原理の絶対的必要性を理解している。
    したがってけっしてそれを破らない。



(ノーリスクの機会)

  Tボンドでは、トレードが機能しているか見極めるために6ティックを超えるリスクを取らないのが普通だ。例えば3枚でトレードしているとしよう。建玉した後にマーケットが、4ティック以上自分に有利な方向に動かずに、すぐに不利な方向へと動いた場合、18ティックの損失でトレードを仕切る。しかし前述のとおり、こうした事態は滅多にない。よりありがちなのは、負ける前に少しだけ自分に有利な方向へと動いている場合だ。少なくとも4ティック有利に動けば、1枚仕切って4ティックの利益を取る。これで残り2枚となって、合計リスクが12ティックに減ったことになる。そしてマーケットが反転して残りの2枚を損切っても、そのトレードでの正味の損失は8ティックとなる。
  残り2枚が損切りを免れ、マーケットが有利な方向に動いている場合、前もって決めておいた利益目標でさらに1枚仕切る。このポイントは、ある長期の時間枠の支持線・抵抗線、つまり直近の主要な高値・安値の基準を基にしている。そして2枚目を利食ったとき、自分の仕切り用の逆指値注文をもともとの建玉位置に移動する。これで最後の3枚目の建玉に何が起こってもトレードの純利益を確保したことになる。
  つまり「ノーリスクの機会」を手にしたのである。この状態の経験がどれだけ重要か、強調したくてもしきれるものではない、たとえ出版社にこのページの文字だけ大きくしてもらっても十分強調しきれているとは言えないだろう。「ノーリスクの機会」の状況を設定すれば、何かかなり普通でない(例えば、逆指値を超えてストップ安やストップ高になる)事態が起きないかぎり、損をしない。普通の状態では損をしないというリラックスした不安のない心理状態でのトレードを、本当にどのように感じられるか経験できる。




※ ( )内タイトルは勝手につけました。

 

 
 
 
鉄 太 郎 の ナ ル ホ ド と 納 得
 

 

  株が高くなるか、安くなるかの判断は、自分がポジションを抱えていなければ、そんなに難しいものではない。小学生にチャートを見せても、半分以上の確率で当てるであろう。判断を誤らせるのは、希望、恐怖、強欲などの感情である。

 <ミスの原因の一例>
  
  ★もう少し待てば、あがってくれるだろうという希望
  ★損は出したくない、見たくないというエゴ
  ★底が抜けたような株価を見ての恐怖心
  ★儲かりだした時のもっと儲けたいという強欲さ

 <対策の一例>

  ☆無条件にできる損切りの方法の確立
  ☆感情の入り込まないシステムの構築
  ☆システムの有効性を徹底的に検証
  ☆ルールを破った時の罰則は必ず履行